【カナリーニョFC:永井州】主役は指導者ではなく選手。それを忘れない

【カナリーニョFC:永井州】主役は指導者ではなく選手。それを忘れない

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本コーナーでは、現役のサッカー指導者にインタビューして、各指導者が持つ理念や独自のメソッドを紹介してもらいます。

日本は8000チームほどの少年サッカーチームがあると言われています。更に、それと同等以上の数でサッカー指導者が存在します。しかし、そういった指導者の実態は、各サッカーチームに所属してみないと分からないのが現状です。

そこで、マイボ!編集局がインタビューし、彼らのサッカー指導を明らかにしていきたいと思います。これにより、サッカー少年少女達のチーム選びや、日本のサッカー育成に貢献することが目的です。

今回は、千葉県柏市の強豪カナリーニョFCの永井州コーチにインタビューさせて頂きました。

カナリーニョFC:永井 州コーチ

小学校までは地元の少年団で活躍。柏レイソルのジュニアユースを経て、柏陵高校サッカー部に。その後、単身オランダ留学に挑戦。オランダのローダに在籍した後、フランスのル・マンにて練習生を経験。日本に帰国後は、東京ヴェルディのサテライトリーグでプレイ。指導者の道を目指してからは、カナリーニョFCでコーチとして活躍

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Q.ジュニア世代ではどのようなサッカー選手だったのでしょうか

幼稚園の頃から地元の少年団の所属していました。当時は体が大きく、蹴れば入るといった感じのサッカー選手でした(笑)所属チームには、偶然にも上手い選手が多かったので、大会などではよく優勝をしていましたね。まだ、Jリーグが発足していない時期でしたが、サッカーをずっとやっていきたいなという思いは持っていました。

Q.有力チームに所属していたとのことで、やはりトレセンにも選ばれたりしていたのでしょうか

そうですね。トレセンに呼ばれたこともあります。それでも、自分が一番上手いと思っていたわけではなかったですね。同じチームにも上手い選手はいましたし、他のチームにも自分より上手いなと思う選手はいました。特に印象に残っているのが、浦安のチームに所属していた玉田圭司選手ですね。今でこそ、誰も知る元サッカー日本代表の選手ですが、当時から非常に上手かったです。

Q.ジュニアユースでは、どのような進路を選択されたのでしょうか

柏レイソルに入団しました。私が中学入学時はまだJリーグが発足していなかったのですが、柏レイソルがJリーグに入るという話はあったので、是非そこでやってみたいと思いました。

Q.少年団でのサッカーと、柏レイソルではどのような違いがありましたか?

本当に何もかも違いました。先ほどお伝えしたように、当時はサッカーをとにかく楽しむような感じだったので、柏レイソルで本格的な戦術や戦略を目の当たりにして、本当に驚きました。そういったものを吸収するのは大変でしたが、質の高いサッカーを学ぶことが出来たのは本当に良い経験だったなと思いますね。

Q.高校ではそのまま柏レイソルのユースに進んだのでしょうか?

高校では、サッカー部に進路を変えました。柏レイソルのユースにそのまま進むのが難しかったことと、サッカー推薦で千葉県の高校に入れるチャンスをもらえたことが重なったからです。そこでは、2年生の頃からチームの中心選手としてやらせてもらうことができました。

Q.高校卒業後はJリーグに進むことを考えたのでしょうか?

もちろん、Jリーグでサッカーをやりたい気持ちはありましたが、まだそこまでの実力にはないと思いました。そこで、意を決してオランダでサッカーをやろうと思いました。私は、サッカーをやるだけではなくて、試合を見ることも好きで特に海外のサッカー番組はよく見ていました。そのため、海外でやってみたいという思いが、人よりも強かったのかなと思います。オランダでサッカーをやっていた話をすると、当時としてそんな人は珍しかったのではないかと言われますが、意外にも日本人選手で頑張っている人は数多く見かけました。今でこそ多くの日本人サッカー選手が海外チームで活躍していますが、当時から実はチャレンジしている選手は多かったのです。

Q.オランダではどのチームに所属されていたのでしょうか?

アマチュアのローダというチームに所属しました。トライアルで受かることができ、給料は出ないのですが練習場所と食事を用意される待遇の中で、サッカーに打ち込みました。アマチュアのチームですので、昼間は仕事をして、夜から練習している選手も多かったですね。私はサッカー中心の生活ですので、思う存分プレイすることが出来ました。

Q.オランダサッカーに驚きはあったのでしょうか?

そうですね。まず、体の大きさにはやはり驚きました。私は日本では大きい方ですが、オランダでは小さい方になってしまいました(笑)また、身体能力の高さにも驚きましたね。日本とオランダでは、芝の性質が違います。オランダの芝はぬかるんでいて深いので、ちょっと走るだけでもかなりの体力を使います。体を鍛えている私でも、足がパンパンになっていました。しかし、10代の少年を見ると、そんな状況でも縦横無尽に動き回っているのを見て、身体能力の違いを本当に強く感じましたね。

Q.オランダのローダにはいつまで在籍していたのでしょうか?

1年間受け入れてもらった後で、次のチャンスを探していました。そんな中、縁あってフランスのル・マンに練習生として参加させてもらえることになりました。元日本代表の松井大輔選手が以前に所属していたチームですね。3ヶ月間ほど練習期間兼セレクションのような形式で参加させてもらいましたが、そこではプロ契約まではいきませんでした。それでも、やはりJリーガーになりたいという思いは強かったので、日本に帰ってサッカーをやろうと思いました。

Q.日本に帰ってからは、どのような形でサッカーと関わったのでしょうか?

日本に帰ってからも、幸いにも東京ヴェルディに紹介してもらうことが出来、練習生として1年間サッカーをやらせてもらうことが出来ました。当時、中澤佑二選手のサクセスストーリーなどもあり、東京ヴェルディは若い選手の発掘に力を入れていたようです。その一貫として、私も練習をやらせてもらえるようになったのです。

Q.1年間の期間、本気でサッカーをやってみてどうでしたか?

サテライトリーグでやらせてもらっていましたが、トップチームにいくのは出来ませんでした。その中で、とある方より、「選手として大成するのは難しいだろうから、サッカーの指導者になってはどうだ」とアドバイスをされたことを覚えています。しかし、当時は選手が一番だと思ってサッカーをやっていたので、すぐに受け入れることはできませんでしたね。子供向けのクリニックでも、あまり合わないような感じでした(笑)まだ指導者の価値をあまり見出せていなかった時期ですね。しかし、ヴェルディで優秀な指導者と出会い且つ彼らが人間としても魅力的であることを感じていたので、徐々に指導者も良いなと思うようになっていましたね。

Q.ではそのまま指導者の道に進まれたのでしょうか?

しばらくは選手の道を模索していました。ヴェルディを退団した後も、アルバイトをしながらサッカーを続けていました。Jリーグのトライアウトも受けていましたね。やはりサッカーが好きだったので、選手としての道を捨て切れなかったのです。

Q.それでは、指導者になろうと思ったのはどのような時だったのでしょうか?

転機は2つありました。1つ目は2006年のドイツW杯を見ていた時です。日本代表がブラジルと戦った時に、玉田圭司選手が素晴らしいゴールを決めました。そのゴールに本当に感動すると同時に、自分が選手としてそのレベルを目指すのはもう無理だなと思いました。先にお伝えしたように、昔から知っている玉田圭司選手だっただけに、何か縁のようなものも感じます。本当に、そのゴールを見た時に、選手としての引退を決めました。しかし、その時点で指導者を具体的に目指していたわけではありません。またもや偶然が私を指導者の道に引き込んでくれました。ある日、寿司屋に訪れた時に、東京ヴェルディで知り合いになった方に会いました。その方が、当時は柏のカナリーニョで指導者をやっていたのです。そこで、指導者はどうかと誘われ、サッカーに関わりたい気持ちは強かったので、指導者の道をスタートさせました。

Q.多彩な選手経験をお持ちですから、指導者としてもすぐに対応できたのでしょうか

全くそんなことはなかったです。サッカーへの情熱は人一倍ありますし、選手としてどうすべきかは知っているつもりでしたが、それと育成は全くの別物だったからです。最初の3年間は、それこそ自分の経験やサッカーへの熱い想いを選手に伝え、何とか強くなってもらおうとアプローチし続けました。しかし、思ったように伝わらないという経験をしました。そこで、選手経験と育成を完全に切り離して考えるようにしました。それからは、選手との関わり方が見え始め、自然と担当している世代も強くなっていきました。

Q.具体的にはどのような変化があったのでしょうか

私自身が変わる前は、私から選手への一方通行の育成でした。選手経験が豊富であるため、それこそが私の強みだと考えていたのです。しかし、結果はついてきません。そこで、今度は逆に選手に主導権を渡して育成するようにしました。具体的には、何かが起こる前にあれこれと指導するのではなく、選手に経験を積ませ、考えさせ、自分で修正できるようにサポートするようにしました。これにより、選手達の個の力が付くようになりました。また、長い目で見るようにもなりました。最初は、すぐに結果に繋げようとしていたのですが、将来を見越して指導するようにしました。結果的に、私が変わってから担当した世代は、プロの下部組織に進む選手も多く、本当に確かな実力が備わったなと思います。

Q.永井コーチはどのようなサッカーを目指しているのでしょうか

よく聞かれるのですが、特別に目指しているサッカーなどは持っていません。基本的には、選手に主導権を渡すので、私のサッカー観を押し付けたくないからかもしれませんね。強いて言うなら、やはり個人技が優れたサッカーは素晴らしいと思います。個人技が優れていれば、個人の力で局面を打開できるようになります。最近は組織的な戦略などに目がいきますが、いつかまた個人の力を必要とする時代が来ると思っています。そんな時に、私の教え子がプロの世界で個の力を開花させたら、本当に最高だなと思います。

Q.将来的にはどのような指導者を目指したいと思いますか

選手達に「永井さんのお陰です」と思われない指導者になりたいです。その状態というのは、まさに選手が自分で考え自分で成長した証だからです。指導者を始めて最初の3年間で苦労したからこそ、今は本当に選手達が自立できるためのサポートに徹底しています。私が黒子役として選手の自立をサポートし、いつしかプロの世界で活躍する選手を生み出せるような指導者になってみたいですね。

永井州コーチのインタビューを読んで、カナリーニョFCに興味を持った方は、以下のページもチェックしてみてください。

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