
サッカーに限らず、スポーツや会社など組織においては、各ポジションにいて必要とされる役割は違いがあると思います。例えばサッカーでは、ゴールキーパーやセンターバックは一つのミスも許されず、完璧に近い仕事を求められます。それとは真逆にフォワードであれば、得点さえあげれば良しとされるチームもあるでしょう。中盤やサイドの選手であれば、周囲の状況を見ながら、バランスをとりつつも、チャンスがあれば自らの持ち場を離れて、前に出ていかなければなりません。あるポジションには向いている性格や人間性というものはあるかもしれません。
しかし、チームあるいは会社などの組織は、特定の目標を達成するための集団です。最も重要なことは、その組織の目標を達成することです。その中に、個々の役割(ポジション別役割)があります。
当然、性格や人間性によって適しているもの、適していないものがあると思います。そして、指示・統率する側(コーチや上司)が、各ポジションの人物(選手や従業員)に適した役割を与える。あるいは、自ら希望する役割を与えてもらい、目標を達成するために活動します。
性格が向いていないから出来ないは「言い訳」

サッカーにおいて、フォワードに向いている、ゴールキーパーに向いている、と言われる性格という話は耳にすることがあります。しかし、性格が適していないから出来ないわけではありません。むしろ、向いていないから出来ないというのは、その組織において不利益しか生み出さないのではないでしょうか。
例えば、フォワードの仕事は得点を演出することです。そのために動いたり、パスをしたり、シュートを狙います。これが役割であり、やらなければならない仕事です。
仮に、自分は消極的な性格だから、シュートを打たない。あるいは、攻撃的な性格だから他人に頼らずパスを出さない。
果たして、これらの行為は適切でしょうか。私は適切ではない、と思います。
本来であれば、選手はサッカーをする上で各ポジションの役割を理解しているべきです。そして、もしフォワードとしてプレーするのであれば、その役割を果たすべきです。性格や人間性がどうであれ、その役割を果たすべく行動し、その行動を取る上で性格などは関係ないと思います。
大切なのは役割に対する理解力

したがって、人間性の違いのみがポジションに反映されることがあるとすれば、それはその選手のサッカーの理解力の低さが原因でしょう。最適なポジションは、技術や体力、戦術的要素を第一に判断されるべきです。
例えば、背が高く、スピードもあり、技術もある。しかし、消極的だからシュートが打てないので、フォワードは出来ません。これは、消極的な性格の問題ではなく、役割に対する理解力の問題です。「あなたの仕事はフォワードです」となれば、本来の性格はどうであれ、その役割に対してどう行動すべきかが決まり、実行するだけです。
ポジション別で人間性の違いはあるべきではない

つまり、性格や人間性を理由にポジションを決められる場合は、能力的に適しているかどうかが関係なく、消去法的に役割を与えられているだけです。サッカー選手として、能力の低さを露呈されてしまいます。
もちろん、一人の人間として、性格が違うことは当然で、性格的に最も適している役割があることは良いと思います。
しかし、それぞれのポジションにおける役割を十分に理解し、実行できる能力を身につけることが最も重要だと、私は考えます。
したがって、「ポジション別人間性の違い」はあるべきではない、と考えます。